日本企業の問題「やった感」。仕事は削るもの。

日本企業の働き方が、ようやく日本国内でも問題になってきている。

とにかく日本人は仕事を増やす事が大好きだ。
広告業界とかウェブ業界ではこれを「やった感」と呼んでいる。
「いかにも仕事をたくさんやった事にして、自分の仕事の質足らんとする事」である。

だから会議も、会議ではない。
実質一方通行の「数字の報告」とかだ。
これに多くの社員を強制参加させる。
みんな神妙な顔で最後まで聞いている事がマナーだ。

会議とはそういうものじゃねーじゃん、といつも思う。
会議とは意思決定を行う場なのだ。
短い時間で多くの情報を交換し議論する場だ。
外国人なんかはよく会議で多くの決定をできると、「今日のCallは生産的だった」とか言う。
「これでたくさんProceedできる(前に進められる)」と。

もちろん日本企業の問題は会議だけではない。
例えば、非効率の筆頭として「資料」がある。

とにかく、なんかわからんが、資料をたくさん作る事で、「やった感」を出す。
クライアントへの報告資料に、「それ、クライアントの利益になる?」と思えるような調査や提案をたくさん書く。
「なぜこんなにたくさんの調査とか提案を載せてんの?」と聞くと当然、
「やった感が出るから」という答えがマジで返ってくる。
思い当たる広告業界とかウェブ業界の人は少なくないだろう。

それと、資料と言えばこういうエピソードもよくある。
「このレポート、自信作なんです」というから見せて貰ったら、
案の定、難解な調査とか提案を大量に記載しているレポートだった。

クライアントへのコンサルティングの結果報告のレポートだったので、
「これでクライアントの利益をどう改善できた?」と聞いた。
すると、「クライアントの利益は改善できてません。でもすごく頑張ったんです」と嬉しそうに言う。衝撃である。
徹夜で頑張ってつくったレポートだったらしい。
上長が何度も確認し、その都度修正を繰り返し、「完璧」に作り上げたレポートだったそうだ。
それを嬉々として「自信作です」という。入社5年目の社員が。
これではまるで、「奴隷の鎖自慢」そのままではないか。

メールなんかもそうだ。
だらだらと長い導入文から入り、添付資料を見ればわかる事をメールにサマリーとして書く。
最後にうやうやしく挨拶をしたためてメールを締めくくる。
件名にも多くの情報を入れる。
Ccにも関係各人を全て入れる。「何かあってはいけないから」と。
そしてこれを上長や先輩に何度もチェックしてもらい、何度も修正を行う。

こうして日本企業の新人は「これが良い社会人だ」「これができない奴は社会人失格だ」と”社会の常識”を体に刻み込む。
徹夜や休日勤務を通して。
少しでも仕事が遅れているときなど、「自分のようなスキルの低い者が早く帰る事など許されない」などと考え込んでしまう。

こんな日々を繰り返し、そしていつしか自分の下に新人が入ったら、この教えを忠実に下にも叩き込む。
そしてそして、業務外の飲み会や接待も増えてくる。
飲み会や接待のマナーも増え、会社によってはマニュアル化するほど膨大になる。

これで、残業や徹夜、休日出勤がない方がおかしい。
そのぐらい、何かを生産しているわけではないのに業務量は増加し続ける。

なぜこうなってしまうのか理解ができないのだが、
会議はディスカッションのみにすればいいし、
クライアントへのレポートは「クライアントの利益につながること」のみ書けば良い。
メールもシンプルに用件のみ書けばいいし、飲み会は仲の良い人たち同士で好きにやればいい。
接待なんて廃止してしまえばいい。
(ランチをクライアントと取りながらディスカッションする、はたまにならアリだとは思う)

…などとしか思わないのだが、これらは比較的グローバルスタンダードな考え方でもある。多分。
外国人と仕事する中でいっぱい見て来たので。

翻って日本では、無駄な仕事が組織的に行われている中に入っていくと、
異を唱えるなどとてもできない空気になってしまうのだろう。

日本人が仕事のやり方を変え、もっと飛躍しますように。

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